9.11 ― ただいま、と言えなかった命のために(読了目安時間:5分)

私は今年も先週9月10日、大手町オオテモリに佇む慰霊碑の献花台へ花を手向けました。
2001年9月11日の同時多発テロ事件から、すでに24年。
この日が近づくたび、私の胸にはあの日の記憶と、無念のうちに失われた、かつて同じ職場にいた先輩、同期の命が重なります。
(標題写真は、私のコラムを読んで頂いた仕事仲間が、昨年ニューヨークを訪問した際、私に送ってきてくれた写真です。木下さん、合屋さん、川内君の名前があります)

行ってきます、と言ったきり
戦争と9.11。形は違っても、そこに横たわる痛みには共通点があります。
戦争では、「行って参ります」と出征したまま帰らなかった家族がいました。
9.11では、「行ってきます」と出勤したまま、日常の「ただいま」を言えなかった家族がいました。
自分の意思とは関わりなく、若く将来ある命が突然に断ち切られた。
その残酷さは、戦争にも9.11にも同じく刻まれています。
どれだけの夢や希望を胸に抱き、どれだけやりたいことがあったのでしょうか。
命の終わりを悟った瞬間、頭に浮かんだのは何だったのでしょうか。
―― 子どもの顔をもう一度見たい。
―― 妻に「ありがとう」と伝えたい。
―― 家族で手をつなぎたい。
そのすべてが叶わぬまま奪われた命のことを思うと、無念という言葉すら追いつかず、今も涙が止まりません。

止まった時間と、生き続ける時間
犠牲となった人々の時間は、崩れ落ちたビルの中で、あるいは戦地で、無慈悲に止まりました。
一方で、私たちは今も生き続け、時を重ねています。
この「生き続けられること」自体が決して当たり前ではない。
彼らが迎えることのなかった今、この瞬間を私たちが生きている。
その事実を思うと、私たちにはその分まで未来を生き抜く「責任」があると感じざるを得ません。
だからこそ、祈りは静かな思いにとどまらず、「未来への責任」へと昇華されねばならないのです。
犠牲者の無念を胸に刻み、同じ過ちを繰り返さないために、私たちは語り継ぎ続けなければなりません。

平和を語り継ぐ責任
戦争でも9.11でも、犠牲になったのは一人ひとりかけがえのない人生でした。
彼らは統計や数字の中の存在ではなく、笑顔や声を持ち、夢を語り、愛する家族と共に生きていた人間です。
だからこそ、その喪失を「歴史」や「事件」という言葉で片づけることはできません。
私たちは平和の尊さ、命の重みを次の世代に語り継ぐ責任があります。
犠牲者の記憶を心に刻み、「未来へつなぐバトン」として手渡していくこと。
それこそが、彼らが生きられなかった未来を少しでも救い出す道ではないでしょうか。

結びに ― 奪われた未来のために
24年という歳月は、時の流れに埋もれてしまう恐れを感じつつも、同時に「語り継ぐ決意」を新たにする機会でもあります。
そして来年は25年という節目を迎えます。
その日にも私は、静かに祈りを捧げ、犠牲となった仲間たちの未来を胸に抱きしめながら、今生きていることの喜びをかみしめたいと思います。
彼らが果たせなかった「未来への歩み」を、私たちが一歩でも確かに進めること。
それが、奪われた未来に報いる唯一の道だと信じています。

過去コラム:
9.11 2024年 – 記憶と未来 – kozuka.blog
9.11 合掌 – kozuka.blog
9.11 生きていることの有り難さ – kozuka.blog

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“9.11 ― ただいま、と言えなかった命のために(読了目安時間:5分)” への2件のフィードバック

  1. furutsuwamonoe445e14e99のアバター
    furutsuwamonoe445e14e99

    昨晩、やっと見つけました。
    ビルから出てきた方、おそらく退勤された方が一瞬立ち止まり碑に向かって極々小さな会釈をされ、去っていきました。
    名を刻まれた方々は、今も記憶として生きているんだと、実感しました。

  2. […] 過去コラム:9.11 ― ただいま、と言えなかった命のために9.11 2024年 – 記憶と未来 9.11 合掌9.11 生きていることの有り難さ […]

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