先週10日木曜、大手町オオテモリの慰霊碑の献花台に花を手向けた時に感じたことです。
2001年9月11日に起きたアメリカ同時多発テロから、今年で25年になります。
25年。
改めて数字にしてみると、本当に長い時間が流れたのだと思います。
私は今年62歳になりました。
そして先日、9.11のことを考えていて、ふと不思議なことに気づきました。
私の記憶の中にいる、あの日亡くなった木下さん、合屋さん、川内君たちは、25年前の姿のままなのです。
当たり前のことなのですが、彼らは歳を取りません。
歳を取ったのは、私だけです。
かつて私が見上げていた、たくさんの先輩たちの年齢を、私はいつの間にか追い越してしまいました。
あれから25年
25年前の私は37歳でした。
銀行員として働き、その後の人生をどう生きていくのか、まだ明確には見えていなかった頃です。
それから私は銀行を辞め、スタートアップの世界を経験し、今は、まだまだ小規模ではありますが、上場企業の経営をしています。
経営者になり、いくつもの会社に関わり、うまくいったこともあれば、もちろん失敗したことも、たくさんあります。
人との出会いがあり、別れがあり、喜びがあり、悔しさもありました。
子どもたちも大きくなりました。
気がつけば、社会人として約40年を過ごし、今も現役で仕事をしています。
もし25年前の自分に、
「62歳になっても、まだバリバリ仕事をしているぞ」
と言ったら、きっと驚くでしょう。
そして、あの日亡くなった仲間たちにも、今年はそんな近況報告をしてみたいと思います。
木下さん、合屋さん、川内君。
あれから25年が経ちました。
私は62歳になりました。
相変わらず仕事をしています。
というより、37歳だったあの頃より、今の方が充実した仕事をしているかもしれません。
会社とは何なのか。
経営とは何なのか。
人を育てるとはどういうことなのか。
そして、自分は何のために仕事をしているのか。
歳を重ねるほど、答えが分かるどころか、自問自答は増えていくものですね。
皆さんがいたら、今の私を見て何と言うでしょうか。
「小塚、相変わらずだな」
そんなふうに笑われるような気もします。
「君は僕らの希望でもある」
以前の9.11のコラムにも書きましたが、慰霊碑を訪れた時、亡くなった仲間たちから、
「君は僕らの希望でもある。今の事業、必ず成功しろよ」
そう言われたような気がしたことがあります。
もちろん、実際に声が聞こえたわけではありません。
でも、その言葉は今でも時々思い出します。
25年経った今、その言葉の意味は少し変わってきたようにも感じます。
若い頃なら、「成功すること」だと思ったかもしれません。
会社を大きくすること。
お金を稼ぐこと。
社会的な評価を得ること。
もちろん、それらも大切です。
しかし62歳になった今は、少し違います。
彼らが見ることのできなかった景色を見て、彼らが出会うことのできなかった人と出会い、彼らが経験することのできなかった人生を生きていること。
それ自体が、残された私たちにできることなのかもしれません。
皆さんが生きられなかった25年間
考えてみれば、私は皆さんが生きることのできなかった25年間を生きました。
約9,000日です。
もちろん、毎日を大切に生きてきたなどとは、とても言えません。
つまらないことで腹を立てた日もあります。
独立して収入が減り、恥ずかしいことに、母にお金を借りたこともあります。
「もう嫌だな」と思ったことだって、一度や二度ではありません。
でも、今になって思います。
それさえも、生きていたから経験できたことなのだと。
失敗できること。
悩めること。
誰かと喧嘩できること。
そして、仲直りできること。
新しい人と出会えること。
仕事に挑戦できること。
美味しいものを食べて笑えること。
我が子の成長を見ること。
歳を取ること。
どれも、生きている人間にしかできません。
若い頃は「歳を取る」ということを、どこかネガティブに考えていました。
しかし62歳になった今は、少し違います。
歳を取れるということは、本当はとても幸せなことなのです。
25年前の姿のままの仲間たちを思うと、なおさらそう感じます。
また来年
毎年9月11日になると、あの日のことを思い出します。
そして毎年こうして文章を書いています。
おそらく来年も書くでしょう。
再来年も書くと思います。
内容は少しずつ変わっていくでしょう。
なぜなら、私はこれからも歳を取っていくからです。
63歳になり、65歳になり、70歳になるかもしれません。
そのたびに、25年前の姿のままの皆さんに近況報告をする。
それでいいのではないかと思っています。
木下さん、合屋さん、川内君。
今年も9月11日が来ました。
私は62歳になりました。
まだ元気です。
まだ仕事をしています。
まだ挑戦したいことがあります。
そして、まだ会いたい人も、見たい景色も、やりたいこともたくさんあります。
皆さんが生きることのできなかった今日を、私は今日も生きています。
だから、もう少し頑張ります。
また来年、近況報告をします。

過去コラム:
9.11 ― ただいま、と言えなかった命のために
9.11 2024年 – 記憶と未来
9.11 合掌
9.11 生きていることの有り難さ

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