――ゼネラリスト時代に求められる「もう一つの武器」
先日、化学分野を専攻する大学院生から、将来のキャリアについて相談を受ける機会がありました。非常に優秀な学生で、自分の専門性を将来どのように生かしていくべきか、そして将来的には起業という選択肢も考えているとのことでした。
そこで私は、こんな話をしました。
「もし将来、起業したいのであれば、化学の専門性に加えて、ぜひ営業を学んだ方がいい」
研究者を目指すのであれば、専門分野を深く掘り下げることは当然重要です。しかし、自分で会社をつくり、事業を成長させようとするなら、それだけでは足りません。
私は、世の中で成功したアントレプレナーの多くは、ある意味で「スーパー営業マン」だと思っています。
もちろん、本人が商品を持って一軒一軒営業して回る、という意味ではありません。
自分たちの技術がどれだけ素晴らしいのか。
その技術によって顧客の何が変わるのか。
自分たちは、どんな未来を実現しようとしているのか。
それを顧客に伝え、社員に伝え、取引先に伝え、そして投資家にも伝え、人を動かしていく。
これも広い意味では、すべて「営業」だと思うのです。
私は会社経営を、極端に単純化すると「キャッシュインとキャッシュアウト」だと考えています。
会社からお金が出ていくのがキャッシュアウト。
一方、会社にお金が入ってくるキャッシュインの代表的なものは二つあります。
一つは、商品やサービスを販売して顧客からいただくお金。つまり「営業」です。
もう一つは、銀行や投資家など外部から調達するお金。つまり「資金調達」です。
言い換えれば、十分な営業力と資金調達力があり、事業継続に必要なキャッシュを確保し続けることができれば、会社は簡単には潰れません。
逆に、世界最高水準の技術を持っていたとしても、それを買ってくれる顧客がおらず、さらに事業を継続するためのお金も調達できなければ、会社は存続できません。
「良いものをつくれば売れる」
これは、技術者が陥りやすい考え方の一つですが、残念ながらビジネスの世界では必ずしもそうではありません。
良いものをつくる力と、その価値を社会に伝えてお金に換える力は、別の能力なのです。
この大学院生との会話の後、ふと思い出したのが、ビル・ゲイツ氏が紹介していた「ゼネラリスト」の考え方でした。
ゲイツ氏は2020年、David Epsteinの著書『Range』を推薦しています。

この本が問いかけているのは、早い段階から一つの分野だけに特化することが、本当に成功への唯一の道なのか、という問題です。
ゲイツ氏自身も、自分のキャリアはゼネラリスト型にかなり当てはまると振り返っています。
もちろん、彼にはコンピューターという非常に深い専門性がありました。しかし同時に、子供のころからコンピューター以外のさまざまな分野の本を読み、幅広いことに関心を持っていたそうです。
そしてMicrosoftが成長した理由についても、単に優秀なプログラマーを集めたからではなく、自分の専門領域の中でも、そして領域を越えても幅広い知識を持つ人材を採用したことが重要だったと述べています。
私はここに、これからの時代のキャリアを考える大きなヒントがあると思っています。
専門性か、ゼネラリストか。どちらかを選ぶ必要はありません。
むしろ重要なのは、
「深い専門性 × 異なる分野の能力」
ではないでしょうか。
化学を深く学んだ人が、営業を学ぶ。
機械工学を学んだ人が、財務を学ぶ。
営業をしてきた人が、AIやデータ分析を学ぶ。
技術者が、マーケティングや経営を学ぶ。
一見すると遠回りに見える経験が、後になって大きな武器になることがあります。
特に起業家や経営者には、この「掛け算」が必要です。
技術だけでも足りない。営業だけでも足りない。財務だけでも足りない。
人を採用し、組織をつくり、顧客のニーズを理解し、商品をつくり、それを販売し、お金を調達し、時には撤退の判断までしなければならない。
経営とは、そもそも究極のゼネラリスト職なのかもしれません。
ただし、ここで誤解してはいけないことがあります。
ゲイツ氏も、専門家の価値を否定しているわけではありません。
手術を受けるのであれば、その手術を何度も経験した高度な専門医を選ぶ、と彼自身が書いています。
つまり、専門性が不要なのではありません。
専門性だけで世界を完結させないことが大切なのです。
私は、これから社会に出る若い人たちには、まず何か一つ、「自分はこれなら負けない」というものをつくってほしいと思っています。
そして、その専門性を身につけたら、あえて少し離れた分野に手を伸ばしてみる。
研究者なら営業を経験してみる。
技術者なら顧客と直接話してみる。
営業担当者なら工場へ行って製造現場を知る。
そして経営を志すなら、数字から逃げない。
そうした経験の一つひとつは、その時には無関係に見えるかもしれません。
10年後、20年後、それらが一本の線としてつながることがあります。
専門性とは、自分の「軸」をつくるもの。
幅広い経験とは、その軸を社会と「つなぐ」もの。
どれほど優れた技術であっても、社会につながらなければ価値にはなりません。
だから私は、化学を学ぶその大学院生に営業を学ぶことを勧めました。
専門性を捨てるためではありません。
せっかく身につけた専門性を、世の中で生かすためです。
これからの時代に求められるのは、「何でも知っている人」ではないと思います。
一つの専門性を持ちながら、異なる世界に好奇心を持ち、人とつながり、知識と知識をつなぎ、そして自分の専門性を社会的な価値へと変換できる人。
そんなゼネラリストこそ、これからますます活躍するのではないでしょうか。

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