8月6日、私が受け継ぎたいもの(読了目安時間:4分)

まず初めに、先週7月28日に発生した熊本県を震源とする地震により、お亡くなりになられた方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
また、ご遺族の皆様に謹んでお悔やみを申し上げるとともに、被災されたすべての皆様が一日も早く平穏な日常を取り戻されることを心よりお祈り申し上げます。

昭和39年3月9日、私は広島で生まれました。
広島で生まれ育った人間にとって、8月6日は特別な日です。
毎年この日が近づくと、幼い頃から学校で学んだことや、家族から聞いた話が思い出されます。そして、平和とは何か、命とは何かを改めて考える一日になります。

私には、一度も会うことができなかった祖父がいます。
祖父は高校で国語を教える教師でした。
昭和20年8月6日、広島に原子爆弾が投下され、多くの人が亡くなり、傷つき、街は一瞬にして壊滅しました。
その後、祖父は救護活動に携わったと聞いています。
当時は放射線の危険性が十分に知られておらず、防護服もなければ、被ばくに対する知識もほとんどありませんでした。それでも祖父は、被災者の救護にあたりました。
祖父本人から理由を聞くことはできません。
しかし、祖父は高校教師という公務員の立場として、目の前で苦しむ市民を見過ごすことはできなかったのではないかと、私は思っています。
教師として、生徒に言葉を教えるだけではなく、一人の人間として、人を助けることを選んだ。その背景には、「自分がやらなければならない」という強い使命感があったのではないでしょうか。
その救護活動が影響したのかどうかを今となって証明することはできません。祖父は原爆投下の8ヶ月後の翌年昭和21年4月、免疫力低下から風邪をこじらせ、34歳でこの世を去りました。
私は祖父の顔も声も知りません。
それでも、「自らの責任から逃げず、人のために行動した人だった」ということは、家族から受け継いだ大切な記憶として心に刻まれています。

私は経営者になってから、社員に「現場へ行こう」という話をよくします。
メールや資料だけでは分からないことばかりです。
自分の目で見て、自分の耳で聞き、自分の足で動く。
現場には、数字だけでは見えない現実があります。
もちろん、企業経営と戦時中の救護活動を同じ土俵で語ることはできません。
しかし、「自分の立場で果たすべき責任から逃げない」という姿勢は、時代が変わっても決して変わらない価値だと思っています。
「誰かがやるだろう」ではなく、「自分がやる」。
祖父が救護活動へ向かった背景にも、そんな思いがあったのではないかと想像しています。

戦後80年以上が経ち、被爆体験を直接語ることができる方は年々少なくなっています。
一方で、世界では今なお戦争が続き、多くの尊い命が失われています。
科学技術は飛躍的に進歩し、AIが社会を変えようとしている時代です。しかし、人と人とが争うという問題は、いまだに解決されていません。
だからこそ、平和は特別な人が守るものではなく、一人ひとりの日々の行動や判断の積み重ねによって支えられているのだと思います。
相手を思いやること。
約束を守ること。
誠実に仕事をすること。
そして、自分に与えられた役割を最後まで果たすこと。
そうした一つひとつの積み重ねが、争いのない社会につながっていくのではないでしょうか。

私は祖父に会ったことはありません。
それでも、祖父の生き方は、80年以上の時を経て、私に「責任とは何か」「使命とは何か」を問いかけ続けています。
8月6日は、悲しみを思い出す日であると同時に、未来への責任を考える日でもあります。
祖父たちが命を懸けて守ろうとした未来を、私たちは今生きています。
その未来を次の世代へつないでいくことこそ、今を生きる私たちに課せられた使命ではないでしょうか。
今年の8月6日も静かに黙祷を捧げたいと思います。
そして、祖父への感謝とともに、「自分に与えられた使命を果たせているだろうか」と、自らに問いかける一日にしたいと思います。

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