――法制度、とりわけ雇用の硬直性に原因はないか
日本は今、国を挙げてスタートアップ支援に取り組んでいます。資金供給を厚くし、起業を後押しし、世界で戦える新しい企業を育てようとしています。その方向性自体に異論はありません。むしろ、少子高齢化が進み、既存産業だけでは成長を維持しにくい日本にとって、スタートアップの育成は避けて通れない重要課題だと思います。
しかし、これだけ支援策を打ち出しても、日本からはなかなかユニコーン企業(※)が育ちません。もちろん、理由は一つではないでしょう。リスクマネーの不足、起業文化の違い、グローバル市場に対する視野の差など、さまざまな要因があるはずです。
※ユニコーン企業:企業価値が10億ドル以上とされる未上場のスタートアップ企業のこと。非常に少ない存在であることから、この名で呼ばれます。(世界全体で約1,590社、日本は8社)
ただ、企業経営の現場にいる立場から見ると、私はもっと根本的な原因があるのではないかと感じています。
それは、日本の法制度、とりわけ雇用の硬直性です。
私はこれまで、日本だけでなく、スイス、アメリカ、香港でも仕事をしてきました。その経験から率直に思うのは、日本ほど雇用が強く守られている国は珍しいということです。もちろん、従業員保護は大切です。会社の都合だけで人が簡単に切り捨てられる社会が望ましいとは、私も思いません。働く人の生活を守ることは、社会の安定のために欠かせないからです。
しかし、保護が強すぎて制度が硬直化すると、今度は企業の側が変化に対応できなくなります。ここに、日本の難しさがあると思います。
ユニコーンを目指すような会社は、平時の会社ではありません。事業モデルも、顧客も、組織も、激しく変わります。ある局面では必要だった人材が、次の局面では不要になることもある。逆に、昨日までは必要なかった人材が、今日から急に必要になることもある。
そうした環境では、資金力や技術力と同じくらい、組織を素早く組み替える柔軟性が重要になります。
中国には「996」という言葉があります。朝9時から夜9時まで、週6日働くという意味です。私はそれを無条件に肯定するつもりはありませんし、日本でもそうあるべきだと言いたいわけでもありません。ただ、ユニコーン級の企業が生まれる初期段階では、創業者や中核メンバーが常識を超える密度で働いているのは事実です。シリコンバレーでも、程度の差はあれ、似たような熱量で会社を伸ばしている企業はたくさんあります。
そうした環境では、当然ながら合う人と合わない人が出てきます。そのとき経営者が、事業の実態に合わせて組織や最適人材を見直せるかどうかが、企業の成長速度を大きく左右します。ところが日本では、その自由度が極めて低い。結果として、経営者は最初から採用に慎重になり、人材の新陳代謝も進みにくくなり、組織全体のスピードが落ちていく。これでは、世界と戦うスタートアップが育ちにくいのも無理はありません。
しかも、この問題はスタートアップだけの話ではありません。雇用の硬直性で苦しんでいるのは、創業間もないベンチャーから成熟した大企業まで、実は皆同じです。事業環境が変わっても、人員配置や組織再編を機動的に進めにくい。新しい分野へ踏み込もうとしても、過去の雇用慣行や組織の重みが足かせになる。つまりこれは、一部の新興企業の特殊事情ではなく、日本で会社を経営する者が広く直面している構造問題なのです。
こうした状況が続けば、優秀な経営者ほど日本で会社運営をしたがらなくなるのではないか?
経営者にとって重要なのは、数年後の未来予測をし、リスクを取り、組織と人材を最適化しながら成長を実現することです。その自由度が制度によって強く制約されるなら、優秀な経営者ほど、より機動的に経営できる国や市場へ向かうのは自然な流れでしょう。
これは、日本にとって大きな損失です。本来なら日本国内で新しい産業をつくり、雇用を生み、国際競争力を高めてくれるはずの経営人材が、日本では十分に力を発揮しにくい。そうなれば、いくら補助金を出し、スタートアップ支援を叫んでも、ユニコーンはそう簡単には生まれません。
今はAIの出現によって、事業環境も業務プロセスも、これまでとは比較にならないスピードで変わろうとしています。求められる人材も、組織のあり方も、仕事の進め方も、大きく変わる時代です。にもかかわらず、法制度だけが旧来型のままであれば、日本企業はこの変化に対応しきれず、世界との差はさらに広がってしまうでしょう。
もちろん、従業員保護を弱めればよいという単純な話ではありません。必要なのは、保護と機動性のバランスです。企業が変化に応じて組織を見直せる一方で、働く人も再就職や学び直しを通じて次の機会を得やすい社会にする。その両方が揃ってこそ、挑戦する企業も、働く個人も報われるはずです。
日本でユニコーンが育たないのは、起業家精神が足りないからでも、能力がないからでもない。私は、その原因の一つは、挑戦する企業に対して法制度が重すぎることにあると思っています。
本気で世界と戦う企業を日本から生み出したいのであれば、AI時代にふさわしい形で、企業が機動的に経営でき、働く人も次の挑戦へ移りやすい制度へと、法整備を急ぐべきではないでしょうか。

コメントを残す