先日、新幹線の中で読んだ雑誌『Wedge』の記事に、心をつかまれました。臨済宗妙心寺退蔵院の副住職・松山大耕さんが「京都には思想がある」と語っていたのです。ここでいう「思想」とは、観光できれいだね、という話ではありません。今の世界が「善か悪か」「味方か敵か」と分断され、日本企業がルールだらけで動けなくなっている状況に、静かに問いを投げかける、日本ならではのものの見方のことです。
Wedge ONLINE https://wedge.ismedia.jp/subcategory/wedge,202512
松山さんが紹介していたのが、仏教、とくに禅にある「不二(ふに)」という考え方です。「二つではない」、つまり、白と黒、勝ちと負け、正解と不正解、そうしたものをきれいに分けてしまわず、「そのまま一つの世界」として受けとめようとする姿勢です。日本が「和を以て貴しとなす」と言われる国になった背景には、この「不二」の感覚があったのかもしれません。
一方で、2025年に亡くなった経営学者・野中郁次郎さんは、日本企業の弱点として「3つの過剰」をあげました。オーバーアナリシス(分析しすぎ)、オーバープランニング(計画しすぎ)、オーバーコンプライアンス(ルール守りすぎ)の3つです。数字やKPI※を重視すること自体は悪くありませんが、「間違ってはいけない」「責任を取りたくない」と考えすぎるあまり、数万円のトライアルでさえ、決裁に何週間もかかる。こうして現場のスピードと元気が失われていく、と野中さんは警鐘を鳴らしました。
※ KPI(Key Performance Indicator):目標の達成度を評価するための「重要業績評価指標」
この「3つの過剰」の根っこには、「白か黒か」をはっきりさせようとする考え方があります。リスクがゼロになるまで分析し、予定を細かく固め、イレギュラーを起こさないようにルールを厚くする。すると、「ルールに書いてあること以外はやらない」「前例がないからやめておこう」という空気が生まれ、挑戦や工夫の余地がどんどん減っていきます。気づけば、現場の人たちは「自分で考えて動く力」よりも、「怒られないようにする力」にエネルギーを使うようになってしまうのです。
これは、会社だけの話ではありません。学校やサークル、ママ友グループでも、「あの人は味方か、敵か」「あの意見は正しいか、間違っているか」と二つに分けてしまうと、場の雰囲気は一気にギスギスします。SNSでの炎上や「叩き」も、多くはこの白黒思考から生まれているように見えます。
松山さんは、こうした「白黒思考」が強くなりすぎた世界の流れに対して、日本の「曖昧さ」の価値をあらためて語ります。イスラエルとパレスチナの問題にしても、どちらか一方だけを強く支持するのではなく、関係を切らず、対話の窓を残そうとする。その態度は、外から見ると「はっきりしない」「優柔不断」と映るかもしれませんが、「どちらも切り捨てない」という知恵でもあります。
禅には、「我思う、故に我あり」と言ったデカルトに対し、「我思う、故に我なし」という逆の言葉があります。自分だけが正しいのではなく、「自分も相手も、二つに分けられない一つの世界の一部だ」という感覚です。この視点から見ると、会社の中でも「本社と現場」「ルールと創造性」は、本来は切り離せない一体のものだと言えるでしょう。どちらか一方を選ぶのではなく、行きつ戻りつしながら、ちょうどいい落としどころを探す姿勢が大切になります。
では、「曖昧さ」をどう仕事の力に変えていけばいいのでしょうか。ヒントは、「減点方式」から「加点方式」への発想転換です。失敗をゼロにすることだけを目指すと、人はチャレンジしなくなります。でも、「やってみたこと」「工夫したこと」をまず評価する文化があれば、多少のミスがあっても前に進める。ルールは大事ですが、それを守ることが目的になってしまった瞬間に、会社は弱くなります。
私たち一人ひとりも同じです。完璧な正解を出そうとするより、「とりあえず小さく試してみる」「まず一歩動いてみる」ことを、自分で自分に加点してあげる。友人や同僚に対しても、「あの人はここがダメ」と減点するのではなく、「ここはいいところだよね」と加点して見る。これも、「白黒つけない」生き方の練習かもしれません。
現場の仕事は、教科書通りにはいかない出来事の連続です。だからこそ、「白黒つけない余白」を、あえて残しておく。マニュアルにない判断を、信頼して任せてみる。そこにこそ、新しいサービスや、思いがけない解決策が生まれます。失敗も成功もまとめて引き受ける「曖昧な余白」が、実は一番クリエイティブな場所なのです。
京都という街は、そうした「不二」の空気を、日常の中に今も残しています。自分と相手、伝統と新しさ、経済と文化。そのどれか一方だけを選ぶのではなく、「両方を抱えたまま生きていく」ための知恵です。観光で訪れたとき、寺や町並みを眺めるだけでなく、「ここにはどんな考え方が流れているのだろう」と耳をすませてみると、見える景色が少し変わるかもしれません。
極端に分かれた世界情勢の中で、日本企業がもう一度強くなるためにも、そして私たち一人ひとりが生きやすくなるためにも、「はっきりさせない勇気」「曖昧さを引き受ける覚悟」を、見直す時期に来ているのではないでしょうか。白か黒かで決めつけない。そのあいだにあるグラデーションこそが、私たちの未来を明るくしていくのだと思います。

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