2001年9月11日午前8時46分(日本時間21時46分)、イスラム過激派テロリストにハイジャックされたアメリカン航空11便が1 WTC(北タワー)の北側外壁、93–99階に突入した。その17分後の午前9時03分(日本時間22時03分)、同じくハイジャックされたユナイテッド航空175便が2 WTC(南タワー)の南側外壁、77–85階に突入し、みずほキャピタルマーケッツに在籍していた私の先輩、同期、後輩12名が犠牲となった。特に、当時同社社長であった木下崇さん、合屋裕二さん、川内英哉さんは、長年本店資金証券営業部で仕事をした仲間でありました。あまり、世間では知られていませんが、みずほキャピタルマーケッツは、前身の富士銀行が高度なデリバティブ取引を行うデリバティブ専門の会社として、ニューヨークに富士キャピタルマーケッツを立ち上げました。日本で金利・為替のデリバティブを扱っている部署は、国際資金為替部と資金証券営業部でしたので、必然的に人材はこの2つの部からニューヨークへ派遣されていました。もちろん、高度なデリバティブを扱うので、良い意味でスーパーエリートの方たちばかりです。
本来、このコラムは当社の事業領域である金融、テクノロジー、ヘルスケアに対するコメントを掲載することが役割ですが、本稿は、追悼を込めて私個人の思い出を掲載したいと思います。
私は1989年8月~1997年9月、約8年間、富士銀行の資金証券営業部に在籍していたので、2~3年で転勤がある銀行の人事の中では珍しい処遇だったと言えます。当時の富士銀行は専門性が高い金融技術を有する人材を育成したいという観点から、専門性を要求される部門で中核を担う人材は、業務が異なる部門には転勤させない傾向があり、前述した木下さん、合屋さん、川内さんも同様だったので、長期間同じ部署にいました。(私の場合は、他の部署では使い物にならないから長期間在籍したので、長期間在籍の意味が異なりますが・・・)
その中でも合屋さんは5年先輩で、スワップの顧客チームのヘッドをしておられ、私は金利先物の顧客チームのヘッドということで、チームは違いましたが、席が近かったので、よく会話をさせていただきました。1990年代のディーリングルームは、ウィンドウズが普及していない時代で、一つの端末で一つの情報画面しか見ることができませんでしたので、同じチームは向かい合わせに座りますが、向かい側との間はおびただしい数の端末で埋め尽くされ、同じチームでも反対側のメンバーとは顔を合わせることができない状態でした。一方、チームは違っていても、背中側は通路で、さえぎるものがないので、必然的に会話をしやすい環境でありました。
合屋さんの仕事ぶりは凄まじく、明晰な頭脳とめちゃくちゃ熱い思いを持って仕事をされる方で、部下に対する怒号のような叱責は日常茶飯事でした。しかしながら、叱責する内容が理に適っている上、部下を育てたいという優しい気持ちが伝わるものでしたので、部下の方からも大変慕われていました。一方で、大変子煩悩な方で、夜になり、今まで強い口調で部下に接していたかと思うと突然、やさしい声で、電話で話をされていて、なんなのかと思うとお子さんが電話に出られていたようです。
1994年2月、私は調査役を拝命し、何とか役付行員となりましたが、年齢も29歳なので、当然見習い役付行員です。そんな中で、近くにいた5年上の合屋さんの仕事ぶりは大変参考になりました。同年12月、毎年恒例の部内忘年会が開催されました。当時、資金証券営業部は約100名が在籍する部門でしたので、忘年会は外部の飲食店ではなく、千駄ヶ谷センターという銀行の施設で行われていました。忘年会当日は、これはなんとなくという雰囲気ですが、役付行員と書記(一般行員)が自然と別々のグループで忘年会会場に向かうような風潮があり、私は調査役になって初めての忘年会でしたので、毎年出席しているのに、何か空気が違う、一種の違和感を覚えていました。そこに、後ろの席にいた合屋さんが「小塚くん、忘年会一緒に行こうか?」と声をかけていただいて、何とも言えない喜びを感じました。合屋さんとは総武線に乗って、とりとめもない話をしながら、千駄ヶ谷に向かったことを覚えています。見習い役付行員が、「あっ、オレ調査役になったんだな」と実感したのは、日常の仕事ではなく、合屋さんに忘年会に一緒に行こうと誘われたその一言でした。

私は部外者となって久しいので、9.11の前日、10日金曜日に献花に伺いました。手を合わせると、木下さん、川内さん、恩田さんなど、仕事上の付き合いのあった方々の顔が鮮明に浮かび上がってきます。
とりわけ、仕事に厳しい合屋さんからは、「小塚くん、君はサラリーマンではできない夢を追っている。君は僕らの希望でもある。今の事業、必ず成功しろよ!!」と声をかけてくださった気がして、帰りの車では涙を抑えることができませんでした。
写真のみずほ銀行本店、オオテモリの中にひっそりと佇む慰霊碑設置には、当時人事部長であった木川真氏(現・ヤマトホールディングス特別顧問)が奔走したと聞きました。木川さんは、隣の資金部で次長をされていた時、私の当時の業務が資金部との接点が多い上、広島県出身同士ということもあり、よく会話をさせていただきました。幸い木川さんが設置に尽力された慰霊碑は、銀行の外に設置されているので、いつでもお参りに伺えます。
9.11は、生きていることの幸せ、生きて仕事ができる喜びを感じる日にしたいと思います。
-合掌-
追記:ご遺族の方をはじめ、OB、OGの方々で、私が知っていることを聞きたい方がいれば、いつでもお話しますので、是非ご一報ください。
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